トモの頑張ってます!!

ダイエット、筋トレ、ストレッチ、読書、音楽について書いてます

今日は生き方について。自分なりの解釈。

おはようございます。
トモです。

今日は土曜日。
さて土曜は生き方について最近書いてます。
先週は死後の世界だったかな。
輪廻転生は危険思想だと書きました。

さて今日は人間の本質について書いてみます。
神はいるのか。心はあるのか。人間の本質は
善なのか。これらかなかったらどうなるのか。

考えられるのは動物のようになって自分本位に
行動して社会は乱れ人類は滅びそうだ。
法律も無視すると考えると、人間は自然と善を
追う生き物だと思うので、また神を願うので
文明が続いてきたのだろう。

法律がなくとも自然と秩序が保たれる世界に
なる気がする。
それでも神の名のものにお互い争うのは
どういうことか。

僕は特定の神は信じていないので何故お互い
自分の神を信じてそれで満足しないのか
分かりません。
仲良くなれないものかと思ってしまう。

まぁ言いたいことは分かる。
自分の信じる神が最高だと思いたいのだろう。
だから他の神は邪神だと思うのはいいですが
ここは一旦引いて相手の神も許す寛容さが
ないのは醜く見える。

人間は弱い生き物だと思う。
何かにすがらないと安心して生きられない。
神であれ心に余裕がないと信仰は生まれない。
金や衣食住など。
生きるのに精一杯な人は信仰はなかなか持てない
様な気がする。

ある程度生活に余裕ができて信仰は生まれるの
ではないだろうか。
でも貧しい人や苦しんでる人は神に祈るものです
今思いましたけど。

また神について考えてみる。
古今東西色々書かれてますがかなり多種多様な
神々がいるので何が正しいかは分からない。

聖書では神の指示に従わない人間は神の怒りに
触れて簡単に殺されてる。日本の神道では生き
とし生けるものすべてに神がいる。仏陀は神々を
超越した存在という立場です。

神は本当にいるのか。
あるいは文明が発達してきた過程で生み出された
創造の産物なのか。とにかくどこに行っても神は
存在すると思われているのは確か。

人間は何か超越的な何かを自然に信じるように
なってるのでしょうね。
一神教でも多神教でも人間よりも高次の存在が
あるとして生きるのは心の拠り所が欲しいから
かもしれませんね。

さて死後は無ではなく生は続くという前提で
考えてみる。
無であると生きてるうちに悪いことをしても
あの世がない訳だから地獄も天国もないので
好きなように生きられる。

となるとワガママに生きる人ばかりになって
しまうだろう。なぜそうならないかはやっぱり
人間は心のどこかで死後の世界を信じてるから
だと思う。

もし死後の世界がないならお墓は無意味だし
墓参りも無意味になってしまう。
臨死体験の人の言葉を聞くとあの世はあるかも
しれないと思われますが断言はできない。

ただやっぱり充実した人生を送るならあの世の
存在を信じた方が現世で頑張ってあの世でも
いい人生を送りたいと思って頑張れる。

結局あの世がなくて無でも実生活で正しく生きて
いればもし死後の世界があった時に後悔しない
ことになる。
だから死後は無だろうと生が続くだろうとどっち
にしても正しく生きていれば安穏とした生が
送れます。

さて仏教やキリスト教で疑問に思うことがある。
それは妻帯してはダメだという教えです。
みんな聖者の言う通り人生を生きたら人類は
滅亡してしまう。

なぜ妻帯してはいけないのか理由は聖書でも
仏典でも書いてない。
ただ人類は滅亡してしまうから妻帯しても
いいんだというこじ付けではなんか釈然としない

なんかこじ付けみたいな理由に思えてくる。
そもそも人間が男女に分かれてる意味がなく
なってしまう。

ただ考えられるのは男女の交わりは動物的な本能
であるのに対し人間らしく生きるのは理性的で
あるからそういう理由かなとも思える。
ただこれはそう思うだけで実際は理由がどこに
あるか僕の稚拙な頭では分からない。

ただ聖書では旧約聖書では神は人間が地に増えて
栄えることを良しとしてますね。
妻帯を禁じるのは新約聖書からです。

仏陀も出家する前は結婚してましたし結婚の
弊害から妻帯を禁じたのかなとも思う。

この辺はまだ整理が付かないのでまた機会が
あったら考察しようかなと思う。
妻帯を戒める理由が仏教では書いてないので
みんな混乱する人も出てきそうなものです。

今日はこの辺で。